「宝塚歌劇団」みなさまよくご存じの歌劇団です。
私も芸術座と帝国劇場に勤務していた頃は、職場も近かったせいもあり、よく観劇しました。
小さい頃(調べたら8才ですね)、宝塚歌劇のTV中継を楽しみに見ており、一番好きだった男役さんの「タルチン」という役名を芸術座の先輩に話しました。それだけなのに、即座に「【シャングリラ】の那智わたるさんよ」と。
すごいですね、好きな人は。生き字引のよう。
もう、大好きでしたね、子供心に那智わたるさん、キレイで上品で。
舞台で初めて本物を観たのは、上京してから。月組でした。
22、23歳頃のこと、素敵でした💕
山陰の実家から上京し文房具屋さんでアルバイトをしていましたが、そのアルバイト仲間にファンの人がいたんです。私も舞台好きで「劇団四季」を観ていたので、話が弾みました。
その友人ごひいきの月組を、東京宝塚劇場で一緒に観ました。
彼女の話の中で印象に残っているのは「並び」のことでした。
「並び」とは、公演チケット、それもお目当ての席を取るために、劇場の前に並ぶことです。
今はすでにそのシステムはありませんが、「ベルばら」(1974年 初演~)がヒットし、その後、前売りのチケットを入手するために劇場の前にファンは並ぶようになったようです。
最初は恐らく24時間並んでいたのではないかとのことですが、そのうち並んでいる方々が相談され、朝晩の点呼性(朝7時と夜10時とかだったらしい )になったようです。夜間は解散していますが、日中は一年中並んでいるわけです。
それは、劇場側からの依頼ではなく、自主的に始められたようでした。
昔はチケット購入の枚数制限もなかったので、新しい公演のチケット売り出し日には、それこそファンクラブさんが大きな旅行鞄に現金(現金しか購入方法がなかった頃ですね)を入れて、大量のチケットを購入されていたようです。
先頭に並んでいるのは個人ですが、実は何人かで組織する(こう書くと大ゲサですが)「グループ」だったみたいで、その人数もグループもどんどん増えていったらしい。
先頭は「第1グループ」と呼ばれ、その後「第2」「第3」とグループが増えていき、最終的には「第9」(ベートーベンじゃないですよ)まであったと聞いています。
その「グループ」にファンクラブも属していたということですね。
さて、文房具屋時代の友人に話を戻しましょう。
彼女もどっかのグループに入っていたようで、当然並びに参加するわけです。
同じグループ内で数時間ずつみなでバトンタッチをしながら並ぶようで、朝イチの当番になった時は、始発電車で行かなくてはなりません。何度か目になると家族の手前もあるので、彼女が考えたのは、まだ暗いうちに自室のある2階のベランダからそっと抜け出し、1階の塀を伝って庭に降りて劇場に向かうというやり方。劇場に着いて点呼を受け、2時間くらい並び、次の人とバトンタッチをした彼女は今度は逆を辿り、1階の塀から2階のベランダに登り自室に戻る。パジャマに着替えてなにくわぬ顔で「おはよー」と階下に降りていたとのこと。「若かったなあ」と彼女はいっておりました。並びの当番も、同じ時間帯で3組くらいが声をかけられていて、二重三重のセイフティが設けられていたとのこと。もう40年以上前の話になりますね。
この「並び」、かなりの間続いたようですが、並びが廃止になるまで 第1から第9 までのグループの順番は一度も変わることがなかったと聞いております。すごい。
今はインターネット時代、こんな話は「それ、なんのこと?いつ頃の話?」ってなりますよね(笑)。
確かに「アナログ」で不便だったかも。でもファンたちが時間を割いて観劇の席を確保し、ごひいきのタカラジェンヌを懸命に応援していた時代だったと思います。
並びがあった頃の歌劇団のチラシです。
この頃はこのサイズで、開くと横長タイプでした。

1985 花組

1985 雪組