珍彦さん

Bunkamuraの社長を勤められた田中珍彦さん

東急エージェンシーから開業前のBunkamuraに来られ、オープン、そして運営に尽力された方です。
私が入社した頃は「制作部長」の役職だったので、私は部長、部長と呼んでおりました。

白い「もみあげ」がトレードマーク、人懐っこい笑顔とエネルギッシュな目の輝き。一度お会いしたら忘れられない(笑)。田中さんがまとめられたことで、成り立った企画もたくさんあったのでは、と思います。

部長は、私が劇場案内係の新人研修の一環として、なんでもいいのでお話ししてください、とお願いすると「よし」と快くお引き受けくださり、劇場ロビーの一角で簡易椅子を並べただけのような場所にも気軽に出向いてくださいました。

お話しもとても面白く、まず渋谷の開発で「電柱をなくし、電線を地下に埋めた」ところからお話しが始まりました。
もうみんなびっくりして、お話に聞き入りました。
忙しい勤務の中、毎回こんなに気持ちよく気軽にお話しいただいたのは、部長が 劇場を 舞台を こよなく愛されていたからに他なりません。

私がBunkamuraに在籍したのは7年ほどでした。
退職してどのくらい経った頃でしょうか、シアターコクーン劇場案内係のチーフから相談がありました。

コクーンで遅れ客をご案内する時、横通路から降りる階段に差し掛かる際、ペンライトの灯りの色変えを行っておりました。ご案内客の階段での落下を避けるための対応でありました。
それが部長の目に留まり、先にご着席の方々にはその行為が逆に舞台への集中力を欠くかもしれないから、検討してくれないか、とのことでした。
私が退職してかなり経っておりましたので、私に今更OKを取る必要なんてないのよ、と申しましたが、そうやってご案内の仕方を気にしてくださっていることが驚きでした。

劇場案内係はみんな可愛がっていただき、常に劇場に詰めております数名の社員の名前は全部覚えてくださって「ご苦労さん」とお声掛けいただきました。

平成29(2017)年  世界初、門外不出だったドイツ「バイロイト祝祭劇場」をオーチャードホールで上演した時の奮闘を書いた本を出版されました。

その本の名前は「珍しい日記」でした。


初期のBunkamuraパンフレット