かねてから温めていた、「ほたるさん」のエピソードや日々の生業をまとめたものを、編集者さんをはじめみなさまのお力添えをいただき「本」にすることができました。
拙い文章で、ずいぶん手を入れて直したつもりでも、読むたびに、あー、ここ直したい、ここも直したい、と思うばかりでしたが、それはそれとして、ひとつの形にできたことは、勇気も要ったけど素人の浅はかさで「やってよかった」と率直に思った次第です。
「ほたるさん」というのは私のアダナでもなんでもなく、劇場案内係の別称です。「ウグイス嬢」と同じニュアンスで「ほたる嬢」で検索をかけるとちゃんと出てきます。今はまるで聞かれなくなりました。なかなか粋な呼び方で素敵ですよね、って私が考えたわけでもありませんが(笑)。
本を創る際に編集者さんにお願いしたのは、文字を大きく行間を取って欲しい、ということでした。私より年配の方々にお配りする計画だったのでそうお願いしました。それが功を奏し、文章が読みやすい、と大勢の方におっしゃっていただきましたし、まるで私が傍らで朗読してくれているようだ、とも言っていただきとても嬉しゅうございました。
色々な感想をお寄せいただきました。
まず、一気に読んだ、という方は多かったようです。読みだしたら止まらなかったと、作者冥利に尽きることを言ってくださり、気をよくしました(笑)。
ご近所のご年配の友人からは「手を見せて」と。え?と思って手を差し出しますと、「これが長谷川一夫さんを触った手なのね、握らせて」と言われびっくり。
また、私よりひとまわり若い友人は「レコ大の紙テープの話、表裏にメッセージがびっしり書かれていたなんて、当のご本人はご存じかしら」と。
「虫」の話が秀逸でした、と「かりんとう」を送ってくれた劇場関係者さんもいらっしゃいました。
「日比谷の街角」そうだったなあ、と思い出しながら読んだわ、感慨深かった、とほたるさんの友人。
劇場案内係のことを書いた人は、いても少ないはず。記録書籍としても大切だと思うよ、と褒めてもいただきました。
出身県の友人は「自慢だわ」と、恥ずかしいような手紙、でも嬉しいです(汗)。
大方の感想は「記憶力がすごい!」と言ってくださって。そうですよね、長いこと温めていましたから、今回「本」にするのに自分で読み直し、けっこう忘れていて我ながらびっくりでしたから(笑)。まあ、書いておくもんだというのが率直な私の感想でした。
拙いものを読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
まだ「ほたるさん」の話はありますし、ペンライトで遅れ客をご案内しないオペラやバレエの公演の、まあ私といたしましては「ほたるさん」ではない部分のお話もございますので、ご披露させていただけたらありがたいと思い、こうしてペンを握っております。
小西恵子/こにしけいこ
島根県生まれの鳥取県育ち
1980年 3月 芸術座勤務
1981年12月 帝国劇場勤務
1989年 4月 東急文化村勤務 Bunkamura開場から参加
1996年11月 新国立劇場運営財団勤務 開場から参加
2019年 7月 新国立劇場運営財団 退職